三英傑
三英傑とは日本の戦国時代(15世紀末から16世紀末)の天下統一に大きく関わった「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」の3人のことです。この戦国大名3人ともが愛知県出身です。名古屋・愛知は有名な戦国大名と深い関わりがある武士・侍の都市でもあります。
織田信長
織田信長は尾張地方(愛知県西部)に生まれ、尾張の統一を成し遂げた戦国大名です。独占販売を禁止したり税を軽くする「楽市楽座」という政策で商業の発展に力を入れたり、当時としては珍しい鉄砲やキリスト教などを積極的に取り入れたことが有名で、新しいものを拒まず枠に囚われない性格でした。三英傑の一人目ということもあり、日本で一番有名な武将と言ってもいいかもしれません。
豊臣秀吉
豊臣秀吉は今の愛知県名古屋市中村区に生まれました。身分の低い家で生まれましたが、織田信長に仕えるとだんだんと頭角を表していき着実に地位を上げていきました。織田信長の死後はいくつかの争いの末、その地位を受け継ぎ天下統一を果たします。現代であれば、ごく普通の家庭に生まれた子が、総理大臣や大企業の社長になるようなものでしょうか。信長とは違い、キリスト教の布教を禁止したり農民から刀を没収して武士と農民の身分を区別するなどして民の統制を重視しました。
徳川家康
徳川家康は三河地方(愛知県東部)で生まれました。徳川家康は幼少期を今川氏の人質として生活し、信長の家来になり、秀吉の家来になって武士の頂点まで登り詰めた人物です。1603年から1868年の約260年間も続いた江戸幕府を開いた人物であり、初代将軍として15代にも渡って日本を統治することになる政権の礎を築きました。徳川家の時代は今までとは違い、日本から争いがなくなった期間であり、平和な時代をつくり戦国時代を終わらせました。
清正と名古屋の関わり
加藤清正
加藤清正は信長・秀吉・家康の3人に比べると知名度は劣りますが、名古屋とは深い関係があります。生まれは現在の名古屋市中村区で、始めは家臣として豊臣秀吉に仕えていました。秀吉の命によって行った戦をどんどん勝利へ導き、その強さで有名になります。その後、徳川家康に仕えるようになると、名古屋城の築城を任されました。清正は築城が大変得意で大活躍したということもあり、今でも名古屋城には加藤清正の石曳きの像があります。このように加藤清正は最前線では活躍しなかったものの、名古屋に大きく貢献した人物であることは間違いありません。